ぱーてぃーちゃん信子、実家は33億円の城?その豪邸での華やかな暮らしぶりとは?

信子さんはお笑い3人トリオ「ぱーてぃーちゃん」のメンバーの1人。

青く染めた斬新なヘアスタイルと歯に衣着せぬ口調からは想像もつかない優雅な過去にビックリ!!

そんなぱーてぃちゃんのご実家が33億円の城だという噂が真実なのかどうかを取材しましたので、どうぞごゆるりとお付き合いくださいね。

ぱーてぃーちゃん信子、実家は33億円の城?

ぱーてぃーちゃん信子、その豪邸での華やかな暮らしぶりとは?

「ウチのお父さん、勘当されたの1回。徳川家から放り出されたけど、自力でカネ貯めて、33億の家を建てたからね」

2024年5月4日放送の「さんまのお笑い向上委員会」(フジテレビ系)での信子さんの発言はスタジオを凍り付かせました。

信子さんは3歳まで大阪府堺市に住んでいて、その当時のご実家が33億円で建てられた信貴御殿(しぎごてん)と言われています。

これは「伝説のやくざ」と呼ばれた信子さんの父親、信貴久治(しぎひさじ)さんが建てたものです。

大工さんとして建てたんではないですよ~

お金を出して建てたってことです。

あっ わかってましたよね(笑)

伝説のやくざってどんなだったのでしょうか?!

調べてみると暴力団の信貴組組長で大洋観光代表取締役会長という肩書がありますが、信子さんは父親の職業について、いわゆる土地ころがしをしていたと語っています。

なるほど33億円の城を築けるわけだ!と頷いてしまいました。

タクシーでぱーてぃーちゃんの「姓」と「城」を伝えるだけで連れて行ってくれるという観光地さながらの知名度なのです。

そのご実家がどれほどの豪邸だったのか、またその暮らしぶりを調べてみました。

① 門を入るとあまりにも広い敷地ゆえに車で移動した
② 母屋と離れの間に林がありそこで遊んでいて迷子になったため庭師に母屋まで送り届けてもらった
③ 料亭から料理人が来て食事を作っていた
④ 子供のころ信子が「ピアノを習いたい」と言ったら翌日グランドピアノが届いた
⑤ 小学生のころのお年玉が50万円だった

迷子になるような、そして車で移動するほどの広い敷地とはビックリですね!

料理人やグランドピアノのエピソードも他ではなかなか聞いたこともないケタ違いの大金持ちですね~

「ピアノを習いたい」と言えばグランドピアノが出てくるなんて、どらえもんの四次元ポケットみたいですね。お金があれば好きなものがポケットからスッとでてくるんですね~

羨ましい限りです!

また徳川家康の末裔で実家には家紋が入った甲冑があったといいます。

2024年1月16日放送の日本テレビ「ザ!世界仰天ニュース」に出演した際

ぱーてぃーちゃん信子さんは父の祖母まで名前が徳川だったと明かしました。

徳川家の血筋を引いてるなんて、ひっくり返るほどビッグですよね~

スケールが大き過ぎて、まじまじと信子さんの顔を見てしまいました~(笑)

ぱーてぃーちゃん信子の経歴は?

中学時代、陸上選手でジュニアオリンピックに出場した?

大分県の中学時代は陸上部に所属。

走り幅跳び、砲丸投げ、リレーでそれぞれで県大会優勝しています。

中学3年のときには陸上部のキャプテンもつとめていました。

学年の中心人物だったこと、リーダーシップがあったことで部員の満場一致で選出されたんですって!おてんばだけじゃなくて、ちゃんとみんなを引っ張って行く人だったんですね~

走り幅跳びでジュニアオリンピックに出場した経験もあります。

信子さんは、かなりの運動神経の持ち主ですね~

スポーツで培った体力、精神力とそしてリーダーとして認められるだけの資質などたくさんの宝物を手にした学生時代っだったんですね!

私としてはこんなたくさんの宝物を今後のお笑い界を引っ張って行ってくれる頼もしい存在として活かしてほしいものですね。

ぱーてぃーちゃん信子のプロフィールwiki!

それではここでぱーてぃーちゃん信子さんのプロフィールをご紹介します。

1992年(平成4年)8月1日大阪府堺市生まれ。

本名は大野信子(おおののぶこ)

大分市立上野ケ丘中学校卒業。大分県立南高等学校中退。

3歳から18歳までを大分県大分市で過ごし18歳のとき上京しました。

しばらくBarやレストラン、アパレルショップなどで働いていましたが22歳のときワイン修行のための渡仏を考えていました。

日本でやり残したことはないかと自問し「お笑い芸人」がひらめき今に至っています。

私が思うには、そのひらめきはばっちり正解でしたね!

ワタナベコメディスクール24期生。

2021年4月に信子と金子きょんちぃのコンビ「エンぷレス」に元「パーティーズ」のすがちゃん最高No.1が加わる形で結成しました。

3人トリオの「ぱーてぃーちゃん」のメンバーのなかで立ち位置は右端でボケ担当(時々ツッコミ)

R1グランプリや女芸人No.1決定戦the wではピン芸人「アゲみざわ信子」として出場しました。

信子のお笑いの原点は毎週土曜日の午後に放送されていた「吉本新喜劇」で当時土曜午前中の授業が終わると猛ダッシュで帰宅してテレビの前にスタンバイしていました。

お笑いは子どもの頃からずっと好きだったんですね。

「吉本新喜劇」で笑える日常って私としてはホント平和の象徴のような気がします。

2020年7月に結婚

マッチングアプリで知り合った夫はセレクトショップを経営しオダギリジョー似のイケメンで信子は夫のことを「シーザス」と呼んでいます。

なんだかカッコいい呼び名ですね!

週刊誌「FRIDAY」2023年10月27日号(講談社)でグラビアに挑戦デジタル写真集「抱いて・・・」では「エロすぎる」をテーマにナイスバディを披露しています。

ご結婚後のグラビア写真なんて、ご主人様は嫌じゃなかったのでしょうか?!

自分ひとりの信子さんにしておきたいってことはなかったのかどうか気になる筆者でした(笑)

でもイケメンのダンナさんとの2ショットを披露しているくらいだから大丈夫なのでしょう…

デジタル写真集 「信子 Naked Nobuko FRIDAY」ではいつもの派手なパリピメイクを封印しナチュラルメイクで素を意識した女っぽさが素敵で評価も高いです。

同時リリースの「Masked Nobuko」も好評です。

信子さんは目鼻立ちもはっきりしている整った顔立ちでそのうえ派手なヘアとメイクが特徴的なので薄化粧の写真集はそのギャップの新鮮さにドキッとさせられるのでしょうね。

ギャップは人を惹きつけるものですね。

ぱーてぃーちゃん信子、実家は33億円の城?まとめ

信子さんは3歳まで大阪府堺市に住んでいて、その当時のご実家が33億円で建てられた信貴御殿(しぎごてん)と言われています。

これは「伝説のやくざ」と呼ばれた信子さんの父親、信貴久治(しぎひさじ)さんが建てたものです。

堺市でのキャバレー、風俗店経営で富を築いた後、「泉州の角栄」を目指して、1976年の衆議院選挙に出馬するも落選しています。

さらに選挙買収が発覚し、公選法違反で逮捕されます。

その実刑判決を最高裁まで争い、刑が確定した後の収監直前に姿をくらまし、1996年に大分県内で確保されるまで約3年間の逃亡生活をしていたという記録があります。

まさしく「伝説のやくざ」というのもうなずけますね~

そんな「伝説のやくざ」を父に持つ自由で明るい信子さんには、枠を越えたお友達がたくさん存在しています。

グラビア写真出版などの大胆さも見受けられる信子さん。

33億円の御殿に住んでいただけあって豪快ですね~

ケタ違い過ぎて他人から嫉妬されたりするレベルじゃないですね(笑)

一方、瞬発力と誠実さを併せ持つお笑い芸人として多くの人々から愛されています。

自由さがあふれているのはもちろん、その深い誠実さや温かさには彼女の生き様が見え隠れしているのは言うまでもありません。

南海キャンディーズの山里亮太をリスペクトしていて彼のようなツッコミがしたくて芸人を始めました。

でもトリオ結成後即ツッコミをやめさせられボケにまわったのには笑えますね。

トリオぱーてぃーちゃんの中の信子さんにとどまらず多方面での活躍に今後も目が離せない芸人です。

これからも応援しています!

最後までお読みくださりありがとうございました。

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