1993年6月に小堀裕之と川谷修士が結成したコンビ「2丁拳銃」ですが大阪で大ブレイクし東京進出したものの一向に活躍の音沙汰がありません。
一体どうしたことでしょう?!
最近テレビで見ない理由とSNSでの評価を調べてみました。
どうぞごゆるりとお付き合いくださいね。
2丁拳銃干された?!
賞レースでは好戦績を勝ち取り大阪で人気絶頂の頃、小堀さんは「次は東京進出だぁ~」という思いに駆られていました。
まだまだ大阪で甘えさせてもらおうと東京進出には乗り気では無かった修二さんを引っ張る形で2000年に東京進出したのでしたが…
小堀 「大阪でやることなくなった」言うて、東京進出するんですけど、当時、天狗やったんでしょうね(笑)。(大阪の劇場では)僕らのお客さんが多かったんで、ネタがバレているんですよ。漫才禁止令みたいなものがあってコントをするんですけど、ネタバレしているから明転した(舞台が明るくなった)瞬間、お客さんも「またこれか」という雰囲気になる。劇場のリーグ戦でも負けて「平等じゃないな」と思っていましたね。
そういうのもあって、僕らのことをあまり知られていない場所で勝負したい、と思ったんですけど、いま思うと「行ってよかったんかな、タイミング早かったんじゃないの。もっと地盤を固めてからのほうがよかった?」とは思いますね。小堀 漫才には自信あったんですけど、自信ありすぎて……。テレビのひな壇が向いているわけでもないし、「ここで頑張らんでも、オレら漫才オモロいもん」みたいな考えもあって、(東京のテレビに)合わしに行かなかった、というのはあるんかなと思いますね。
https://magazine.fany.lol/137693/2023年11月14日引用
とインタビューに答える小堀さんの言葉の中には
①大阪での人気や好戦績で天狗になっていた
②東京進出するには時期が早すぎた(もっと地盤を固めてからにすれば良かった)
③ひな壇(テレビなどでのトーク)に向いていないのに漫才で勝負できると思い込んでいた
などという後悔の気持ちを打ち明けています。
でもこればかりはタイミングだし、小堀さんが熱く東京進出したい気持ちを優先させたことは間違ってはいないと思います。
ただすべては結果です。
(この言葉ホントは好きじゃないんだけど、現実は厳しいもんですね~)
後悔先に立たず…ですね。
一方修二さんは
修士 僕は『MBS漫才アワード』がいちばん悔しいですね。自分のなかでも腐っていた時代なんですよ。ひな壇が弱いからテレビ番組もないし、『M-1グランプリ』も(芸歴制限で)終わってるし、どうしようみたいな……。あの大会に戻って、当時の高校生たちに「ちょっと待ってくれ」と、いまの漫才を見せたいですね
https://magazine.fany.lol/137693/2023年11月14日引用
と高校生が審査員を務める「MBS漫才アワード」(2005,2006決勝進出)についての後悔を語っています。
2005年と2006年の決勝進出は素晴らしいと思いますが優勝を勝ち取れず腐っていた時代が悔しいですね。
それでは2丁拳銃の戦績を振り返ってみましょう。
賞レース戦績
before 東京進出前の戦績
1997年 第18回ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞
1997年 第27回NHK上方漫才コンテスト優秀賞
1997年 平成9年度NHK新人演芸大賞演芸部門大賞
1998年 第33回上方漫才大賞新人奨励賞
M-1グランプリ
2001年 準決勝進出
2002年 準決勝進出
2003年 決勝進出
キングオブコント
2008年 準決勝進出
2017年 準々決勝進出
2018年 準々決勝進出
歌ネタ王決定戦
2014年~2016年 準決勝進出
*2009年 第2回上方落語台本大賞 優秀賞 演題「ハンカチ」
*2018年 第2回岩井コスモ証券presents上方落語台本大賞優秀賞 演題「運動会」
↓
*落語台本は小堀さんひとりで制作、2丁拳銃での漫才ネタを落語に応用したりしています。
とここまではイイのですが、その後の動きが止まっています。
2丁拳銃干された?!若い頃から一転テレビで見ない理由とは?!
2021年6月30日youtube 「街録チャンネル~あなたの人生教えて下さい~」でインタビューに答える修二さんの話で2丁拳銃の切ないまでにリアルな人生ストーリーがわかります。
2000年に大阪での仕事を蹴って東京進出した形になった2丁拳銃ですが、大阪の劇場でやってたレギュラー番組も終わってしまいました。
東京はその時劇場がなく、結果が出せない状態でどんどん仕事がなくなっていきました。
大阪にも戻れず迷子になってしまった感じですね。
2001年にスタートしたM-1では決勝組になると思っていたのですが…予選落ち。
そしてラストイヤーの2003年(芸歴10年目)決勝に行けると思いきや4位に終わりました。4位だからとて仕事が増えるわけでもなく、そうこうしているとルミネ(吉本が運営する劇場サイト)ができます。ここで劇場中心にいこうと気持ちあらたになりました。
その頃「The Manzai」という挑戦できるステージができ奮闘するのですが、この頃2丁拳銃のふたりが1番けんかした時期となってしまいました。
修二としては自分の不甲斐なさや仕事で活躍できない腹立たしさからだったと振り返っています。
一方小堀さんはやれることはやりたいと、バンド、落語、DJ、芝居などに向かっていました。
修二さんもその頃芝居や映画に出演するも、ジレンマを感じていたようです。
またひな壇が得意でなかったことはテレビ出演を遠ざけた大きな要因でしょう。
平たく言えば漫才の実力はあるのにトークがダメだということですね。
おふたりとも「漫才」が好きで「漫才」で活躍したいという思いに余念がないのは確かです。
なのでテレビでの「漫才」での活躍ではなく劇場中心であること、そして今はその大好きな「漫才」に戻ってくるための試行錯誤の仕事をこなしているといった感じでしょうか?!
2丁拳銃干された?!SNSでの評価は?!
最近のSNSでの声を抜粋してみました。
2丁拳銃面白いな。ちゃんと子供がお客さんって感じのネタだし、小堀さんがちゃんとネタやってると、勝手に弾き語るなーの野々村さんが脳内再生されるけど流石ベテラン
大阪の大御所がテレビかラジオで「あいつら歌ばっか出してるからダメなんだ」って発言していたので、天狗になってるとか、もっと頑張れとか思ってた人はいたんだろうなとおもいます
今でも漫才は定評あるんですけどね。なにせ、トークがダメなもんで。テレビは皆無です
大阪ではそこそこチヤホヤされていた芸人が、東京進出して失敗するというケースも少なくはないですよ。大阪で売れっ子だったために調子に乗りすぎて勘違いしてしまうというケースもあれば、実力があるにもかかわらず何処の馬の骨かも分からないという理由でテレビ局lや事務所から過少評価されて消えてしまうという場合もあります。前者の場合は芸人側に問題がありますが、後者の場合だと運が悪かったとしか言いようがないですね。彼らの場合、どちらに該当するかは分かりませんが、いずれにしても東京進出に失敗した一組い過ぎないということです。
2丁拳銃面白いな。
久しぶりに見たー、2丁拳銃。
この時間に2丁拳銃の漫才の再放送やってるNMK好き
これらをまとめてみると、やはり2丁拳銃を面白いという人は多いようですが、やはり大阪で人気があったことで天狗になってしまったという評価も少なからずありますね。
これは当の本人たちも認めていることですが…
また漫才は面白いし実力もあるんだけれどトークがダメという意見もありありです。
こういった複合的な要因が敗因となっているようですね。
ですが満場一致で実力はあるのですから2丁拳銃は自身を持って突き進んでほしいものです。
2丁拳銃干された?!まとめ
ここで2丁拳銃の魅力をもう一度おさらいしてみましょう。
2人をリスペクトしてやまない後輩漫才師のダイタク(吉本大、吉本拓)とオズワルド伊藤俊介が2丁拳銃による『百式』(百分式漫才)について次のように語っています。
⇒100分を通してノンストップでひたすら漫才をする単独でストイックなライブです。
『百式』を観ると「カッコいいな、自分らもやってみたいな」と漫才師はみんな思う
と後輩芸人のあこがれの的です。
ノンストップで100分って凄くないですかぁ?!
よほど漫才を愛していないと、というか集大成のような気がします。
修二さんは将来的には「上方漫才大賞」を取りたいと言います。
この大賞は漫才の面白さだけではなく「漫才」に貢献してきた人に贈られる賞です。
このことからもわかるように2丁拳銃がいかに漫才に熱くなり漫才を愛しているかがうかがえます。
今はテレビ出演のお仕事も少なくなっていますが実力のある2丁拳銃は「漫才」に基盤を戻し今の低迷状態を糧にして必ずやお笑い界のドンとして私たちの前に戻ってきてくれることでしょう。
最後までお読みくださりありがとうございました。
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